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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)4513号 判決

原告

井口嘉春

被告

日本興業株式会社

主文

一  被告は原告に対して金二三四万八、〇八八円及びこれに対する昭和五〇年一一月一九日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は二分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一申立

(原告)

一  被告は、原告に対して六二〇万三、四八〇円及びこれに対する昭和五〇年一一月一九日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言。

(被告)

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

との判決

第二主張

(原告)

一  事故の発生

昭和四二年一一月一五日早朝、原告は出勤のため軽二輪車(多う七三七三、以下「原告車」という)を運転し、五日市街道を吉祥寺方面に向つて進行し、同日午前五時三七分頃、小平市上水本町一六七三番地先二ツ塚交差点に時速四〇キロメートル位で進入したところ、府中街道を府中方面に向つて進行中の訴外池嵜勇運転のタンクローリ車(品八六二六四、以下「被告車」という)が右交差点に進入して原告車に衝突し、よつて原告は頭蓋骨折、胸部打撲、肝及び腎臓破裂、左膝関節大腿骨・下腿骨開放粉砕骨折、骨髄炎併発等の傷害を受けた。

二  責任原因

被告は、被告車を所有し、業務用に使用して自己のため運行の用に供していたので自賠法三条により、さらに被告車を運転していた訴外池嵜勇の使用者で且つ同訴外人は当時被告の業務として被告車を運転していたので、民法七一五条一項により、原告の蒙つた損害を賠償すべき責任がある。

三  示談の成立

本件事故による損害の賠償を求め、原告は被告及び訴外池嵜勇を被告として昭和四四年一一月一二日に請求額一、六五四万円の損害賠償請求を提起した(当庁昭和四四年(ワ)第一二、三六四号事件)。

しかるところ訴訟進行過程で裁判所からの和解の勧告もあつたので当事者間で折衝のうえ、昭和四六年一二月二八日に、被告らは既払分の外本件につき三五〇万円の損害金の支払義務あることを認め、昭和四七年一月二〇日限り支払うこと、原告はその余の請求を放棄すること、被告らにおいて示談金の支払があつたときは原告は訴えを取下げること、との示談が成立し、そしてその後示談金の支払があつたので原告は右訴えを取下げた。

四  後遺症

ところが、その後昭和四九年五月になつて原告は後遺症たる腎臓障害が悪化し、同月一六日から同年六月一日までの間調布病院に入院して治療を受けた。

しかし退院後も週三回の血液透折療法を続行する必要がありとのことで、今日まで続けている。この療法には六時間も要し、終業後の午後五時から午後一一時までかけ、終了後三〇分休憩してから帰宅するのであるが、そのため帰宅には深夜料金のタクシーを利用せざるを得ない次第である。

またこの腎臓障害及びその治療のため原告の勤務状態は著るしく劣り、給与の減少を余儀なくされている。

右後遺症の悪化は、前記示談成立当時予測できなかつたもので、現に原告は昭和四九年一〇月三〇日に自賠責保険の支払に関し、従前の後遺症五級の査定を一級と改められ、一二三万円の保険金の追加支払を受けた。

よつて示談成立後に生じた損害については、被告に追加支払方を求めうることになる。

五  損害

(一) 入院付添費等 四万〇、八〇〇円

入院一七日間であつたところ、この間原告の妻が付添にあたつた。その付添費を一日二、〇〇〇円とみて計三万四、〇〇〇円、入院雑費を一日四〇〇円とみて計六、七〇〇円の合計

(二) 通院交通費 七四万六、七六〇円

前記のとおり通院にタクシーを利用しているところ、現在の料金で往きは一、四三〇円、帰りは二、三八〇円で一回の通院に三、八一〇円を要するところ、退院後昭和五〇年一〇月一五日まで一九六回通院しており、よつて本訴でこの合計を請求する。

(三) 将来の通院交通費 一六四万五、九二〇円

透折療法は、一生涯継続せねばならぬところ、本訴で一応三年分計四三二回分の合計一六四万五、九二〇円を請求する。タクシー料金の値上げが予想されるので、この金額が少な目であることは明らかである。

(四) 休業損、逸失利益 八〇一万一、八七三円

前記のとおり、原告は後遺症の腎臓障害及びその治療のため勤務成績が劣り、給与の減少をきたしている。

その額は、同職種の同僚と対比して、昭和四九年五月一六日から同五一年九月一五日までの一六ケ月間で三八六万三、〇二五円となる。

さらに昭和五一年九月一六日から同五四年九月一五日までの三ケ年間少なくとも四一四万八、八四八円の給与の減額があると見込まれる。よつてこの合計を休業損、逸失利益として請求する。

(五) 慰藉料 五〇万円

後遺症分である。

(六) 損害の填補

右合計一、〇九四万五、三五三円から、自陪責保険金一二三万円を差引くと、九七一万五、三五三円となる。

六  結論

よつて本訴で被告に対し右九七一万五、三五三円のうち、六二〇万三、四八〇円及びこれに対する昭和五〇年一一月一九日以降支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

「被告の抗弁に対する答弁」

すべて争う。

(被告)

「請求原因に対する答弁」

請求原因一項中、原告主張の日(但し時間は午前五時三〇分項である)、場所で原告車と被告車とが衝突したことは認めるが、その余の事実は否認する。

同二項中、被告車の運転手たる訴外池嵜に本件事故発生につき過失がなかつたので、被告が責任を負うことは否認するが、その余の事実は認める。

同三項は認めるが、前訴での請求金額は、原告の主張と若干異なる。

同四項中、原告が自賠責保険金一二三万円の追加支払を受けたことは認めるが、原告の給与が減少したことは否認し、その余の事実は不知。

同五項はすべて争う。すなわち、将来の交通費は、原告が将来も治療を要するか否かが不確定であるのみならず、将来の給付の訴であるから、その必要が解明されない限り許されないところである。

次に逸失利益、慰藉料については後記のとおり示談解決済である。

「免責の抗弁」

一  事故現場は、被告車が進行した所沢市方面から府中方面に通ずる幅八・六メートルの道路と原告車が進行した立川方面から吉祥寺方面に通ずる幅六・三メートルの道路とが交差する信号機の設置された市街地の交差点上である。付近道路はコンクリート舗装され、見通しは良く、制限速度は毎時四〇キロメートルである。

なお、事故当時は未だ暗夜で、被告車は未だライトを付けていた。

二  本件事故は、訴外池嵜は被告車を運転し、所沢市方面から、原告は原告車を運転し、被告車の右方立川方面から、いずれも時速四〇キロメートル位で、本件二ツ塚交差点に進入し、その真中付近で双方が衝突したものである。

なお原・被告車の各損傷部位からみて、被告車の右側の中央より後部のサイドカバーに、原告車の前輪が衝突したことは明らかである。

三  そして本件事故は、原告の一方的過失によるもので訴外池嵜に過失はなく、且つ被害車に構造上の欠陥、機能上の障害はなかつたので、自賠法三条但書により本件事故につき被告は責任を負わない。

すなわち訴外池嵜は、本件交差点手前二五〇メートルの地点で自車前方の信号が青であることを確認して交差点に進入したのであり、よつて本件事故は、赤信号を無視して交差点に進入した原告の一方的過失に起因するものである。

なお原告、訴外池嵜とも交差点進入時自分の信号は青であつたと主張しているので、この点が確認できないとすれば、信号機の設置されていない交差点に準じて考えるより他はないのであるが、そうだとしても同じである。

なぜなら前記のとおり被告車が進行した道路の方が原告車進行道路より明らかに広く且つ衝突部位に鑑み、被告車の方が先に本件交差点に進入している。そうするといずれにしろ原告は徐行して被告車の進行を妨げてはならない注意義務を負つていたことになり、そして前記のとおり事故当時暗夜で、被告車はライトを付けていたので、原告において容易に被告車が進行して来るのを知り得たのである。しかるに原告は徐行することなく、漫然前記速度で本件交差点に進入している。そうすると原告の前方不注視の過失が本件事故の原因となつていると認められ、よつて信号表示が不明だとしても、やはり本件事故は原告の一方的過失によつて生じたものである。

「示談成立の抗弁」

仮に被告に責任があるとしても、原告が本訴で請求している損害のうち、逸失利益並びに慰藉料については、原告が請求原因三項で主張する示談の成立(以下「本件示談」という)によつて解決済みであり、原告は重ねてこれを請求することはできないところである。

すなわち、まず逸失利益についてであるが、本件示談は、原告に本件事故による障害等級五級の後遺障害が存在することを前提として成立したのである。従つてその時点での原告の後遺症の態様から後遺障害を原因とする将来における労働能力の喪失割合を見通し、よつて生じる原告の逸失利益を勘案したうえ本件示談は成立したものである。

そうだとすると原告の主張する新たな後遺症が右示談成立時での後遺症の態様の繰上にある限り、新たな後遺症による逸失利益、その他の損害というものは考えられないところである。しかるところ原告は現在軽作業に従事しているというのであるから、原告の主張する新たな後遺症が、示談成立時の後遺症の態様の線上にあることは明らかである。

なお原告は障害等級の変更があつたことをもつて本訴請求の根拠としているようであるが、右原告の実態に鑑み、原告の後遺症を障害等級一級と査定すること自体不当と思われるが、仮に査定の変更自体は正しいとしても、それによつて原告の後遺症の態様、本件が示談成立時の線上にあることを左右するものでないことは自明の理である。

よつて本件事故にもとづく原告の逸失利益は示談解決済みであつて、本訴で重ねてその請求をすることは許されない。

原告が請求している慰藉料についても同様の理であり、本件示談において原告がその余の請求を放棄する旨の、いわゆる権利放棄条項が設けられているのであるから、かかる請求は失当である。

「過失相殺の抗弁」

仮に右抗弁が認められないとしても、「免責の抗弁」において主張したとおり、本件事故発生につき多大の過失があり且つ新たな後遺症が生じたのは、原告において後遺症に対する意を尽さなかつた不注意に起因するものである。よつて原告のこれら過失は損害賠償額の算定にあたり斟酌さるべきである。

まず本件事故発生についての原告と訴外池寄の過失割合についてであるが、前訴での原告の請求額は一、六五三万六、九〇〇円であつたところ、本件示談の成立により被告は原告に三五〇万円を支払うことになつたのである。そうするとこの金額に対比して本件事故発生の過失割合は、原告七八・八四パーセント、訴外池嵜二一・一六パーセントと確定したものというべく、従つてこの私法上の和解の効力としての過失割合は、本訴追加請求においても適用されるべきである。

次に原告の治療上の不注意について詳説するに、原告は、本件事故発生の昭和四二年二月以降、昭和四五年二月までは、入院あるいは二、三日に一回の割合で通院するなど治療に専念していたようであるが、それ以降は週に一回の割合で投薬を受けていたに過ぎない。そしてこの時期の昭和四六年一二月二八日に本件示談が成立したのである。しかるところその後は原告は格別の治療を受けずに適し、昭和四八年四月に至つて頭痛を訴えて、診察を受けたことはあるもこれも同年一一月限り治療に行かなかつたところ、昭和四九年五月に至り、その主張の後遺症が判明し、入院、同年六月一日に退院したが、以来治療を受けているというのである。

かかる治療経過からすれば、本件示談成立後原告が後遺症に対する治療に意を尽さなかつたことは明らかである。

第三証拠〔略〕

理由

一  原告の受傷の点を除き、本件事故の発生そのものは当事者間に争いがない。

そして被告が被告車の運行供用者であることは争いがないので被告の自賠法三条但書の免責の抗弁について検討するに、成立につき争いのない甲第二一ないし第二六号証、乙第一ないし第三号証を総合すると、本件事故現場の状況、原、被告車の進行の模様、衝突場所は被告が免責の抗弁一、二項において主張するとおりであること、事故時の検証によれば、被告車(六・七トンのタンクローリー、車長八・三メートル)には、その右側タイヤとの中間に取付けてあつたエヤータンクに凹損があり、右後輪タイヤに原告単車の白ツポイ塗料とナンバーの青い塗料が付着しており、他方原告単車は前部泥除けが凹んで右側が下になつて引きずられた傷痕が多数あつたとのことであるから衝突の態様もほぼ被告主張どおりであること、がそれぞれ認められる。

よつて本件事故は信号機の設置された交差点での出合頭の衝突と評価されるのであるが、本訴において提出された全証拠によつても、事故時の本件交差点の信号表示を確定することはできない。すなわち、前記甲第二一ないし第二五号証(警察官並びに検察官作成の本件事故現場の実況見分調書、但し、甲第二二号証の記載は一部誤つている)によれば、訴外池崎の進路上から交差点手前(北方)約三〇〇メートルの地点から本件交差点の信号が見え、事故時の信号サイクルは青五八秒、黄四秒、赤六〇秒であつたこと、他方原告の進路上からは、交差点手前(西方)の四五〇メートルの国分寺線踏切りの手前から信号が見え、この地点から事故地点まで時速約四〇キロメートルで進行した場合に約三八秒かかること、がそれぞれ認められる。そして前記甲第二一号証(事故当日おこなわれた実況見分調書)によれば、訴外池崎は事故直後から本件交差点の二〇メートル手前で対面する信号の表示が青であることを確認して本件交差点に進入した旨指示説明しており、前記乙第一号証(前訴での本人尋問調書)によれば、同訴外人は前訴での本人尋問で、事故当時未だ暗くてライトを付けて走つており、そして霧のため青信号がぼやけて見えたが、原告車にはまつたく気づかなかつた旨供述している。他方前記甲第二六号証(前訴での原告本人尋問調書)によれば、原告は前訴で、右踏切で一時停止した時に本件交差点の対面信号が赤であることを認めたので時速三〇キロメートルの低速で進行したところ、やはり交差点手前二、三〇メートルのところで信号が青に変わつたので時速四〇キロメートル位に加速し本件交差点に進入した旨、及び事故時はライトが目立たない位明るくなつており、霧はなかつた旨供述している。

事故直後に現場にかけつけた警察官古野本武夫の前訴での証人尋問調書たる前記乙第二号証によれば、訴外池崎の供述するように事故時は未だ暗く、従つて原告は当然被告車のライトに気づいても良い状態にあつたこと、及び若干の霧があつたのではないかと認められるものの、事故が早朝で目撃者はなく、且つ訴外池崎、原告の供述とも前記事故現場の状況と矛盾せず、結局信号表示の点を明らかにすることはできない。

そうすると被告は自賠法三条但書の免責を主張するも、被告車が本件交差点に進入した際に対面信号が赤であつた可能性もある以上、訴外池崎の無過失の証明があつたとは認められないので、被告のこの抗弁は採用できず、被告は運行供用者として本件事故によつて蒙つた原告の損害を賠償すべき義務を負うことになる。

もつとも被告車は大型車でライトをつけており、そして右のとおり、原告においてライトに気づき得る状態にあつたこと、訴外池崎運転の被告車の進行した道路の方が二メートル余も広く、しかも被告車の後部に原告車が衝突していること、等の各事実からすれば信号表示の点はともかく、原告が、被告車が左方から進行して来るのにまつたく気づかないまま本件交差点に進入しているのは、原告に進路前方に対する注意を欠いた過失があることをうかがわせる。そしてこの原告の過失は、損害の算定にあたり過失相殺として考慮さるべきことになる。

二  次に被告の示談成立の抗弁について検討するに、原告が本訴で請求している損害が、本件示談の権利放棄条項に含まれているか否かは、前訴での原告の請求、示談成立の経過、成立時及び現在の原告の後遺症の程度、態様等を考慮して判断さるべきである。

よつてこの間の事情について見るに、成立につき争いのない甲第九、第一〇号証、同第二六号証、並びに甲第二六号証により原本の存在、成立の認められる甲第五号証、同じく成立の認められる甲第一八、第一九号証、原告本人尋問の結果及びその成立の趣旨により原本の存在並びに成立の認められる甲第二号証、同じく成立の認められる甲第三、第四号証、同第六ないし第八号証、同第一一ないし第一六号証、同第二〇号証の一、二、同第三〇ないし第三七号証、原告本人尋問の結果、被告会社代表本人尋問の結果を総合すると次の事実が認められる。

(一)  本件事故により原告は、頭蓋骨々折、左下顎骨脱臼骨折、左大腿骨膝関節下腿骨開放性粉砕骨折、肝臓及び腎臓の各破裂、胸部打撲の重傷を負い、直ちに入院したが、一週間人事不省であり、その後昭和四三年八月二八日まで、さらに同年一一月一八日から昭和四四年二月七日までの合計二七一日間入院して手術等の治療を受け、その後も昭和四五年九月頃まで通院治療を受けたが、後遺症として顔面変形(障害等級一二級)、複視(同一二級)、左膝関節の用を廃し且つ左下肢長の三センチ短縮(同七級)、左腎摘出(同八級)が残つた。なおこの後遺症は併合して障害等級五級に該当すると認定された。

そして右事実を前提として原告は、昭和四四年一一月一二日に、訴外池崎及び被告に対して本件事故による損害として合計一、六五三万六、九〇〇円の支払を求めて当庁に訴を提起したが、その損害の内訳は、入院治療費・六二万八、五三〇円、入院交通費・七万五、〇〇〇円、物損(原告車、腕時計等)・九万六、五〇〇円、入院雑費、栄養剤等・三万六、〇三九円、昭和四二年一一月一五日から同四四年三月一四日まで休業したことによる損害・一〇一万〇、九五六円、逸失利益(稼働年数三七年、労働能力喪失率七九パーセント、年額六二万七、〇〇〇円の逸失利益とみてホフマン式計算法による)・一、二九三万一、八七五円、慰藉料・三〇〇万円、弁護士費用・一五九万円、の合計一、九三六万八、九〇〇円の損害があつたところ、損害の填補として自賠責保険金等二八〇万九、四〇〇円の支払いがあつたので、これを差引いた分となつている(但し違算がある)。

右原告の損害賠償請求に対して被告らは、本訴でとほぼ同じ内容の免責の抗弁を主張して責任原因を争い、また損害についても填補分を除きこれを争つた。

(二)  そこで係属裁判所は証拠調に入り、原告の傷害、後遺症に関する診断書、本件事故につき捜査官の作成した実況見分調書等の書証が提出され、本件事故の捜査に当つた警察官等を証人として、訴外池崎、原告を本人として尋問した。

その結果明らかになつたことは、本件事故の態様については前認定の程度しか判明しないこと、及び原告の後遺症は前記の状態でほぼ固定したと思われること、さらに原告は昭和一六年三月一七日生れの男子で、昭和三四年三月に工業高校を卒業後直ちに小田急バス株式会社に入社し、以来車の整備点検の仕事に従事しており、昭和四〇年には二級整備士の資格も取得し、本件事故当時吉祥寺営業所の整備班長として検査主任者の地位にあり、整備必要箇所の指示、整備後の検査等に当つていたが事故による負傷のため休業したこと、そしてその後遅くとも前訴での原告本人尋問がなされた昭和四五年九月初めには出勤して検査主任者の地位に復帰したが、仕事は軽作業である電気系統のチエツクのみに従事し、給与も事故当時の本人給しか得ていなかつたこと、の各事実である。

(三)  この段階で裁判所から和解の勧告があり、実質上の和解期日も持たれたようであるが、結局双方代理人を介して昭和四六年一二月二八日に本件示談が成立し、そして原告は、被告らから示談金三五〇万円の支払があつたので訴を取下げた。

もつとも本件示談は、被告車に付保されていた任意保険の保険金の残の範囲内(おそらく残り全部)で処理されたものと推認され、被告会社代表者も右示談金の決定につきまつたくその代理人から相談に与つていない。

なお原告が本件示談の成立に応じたのは治療費の負担、長期間の休業によつて借金を生じていて、早急に金員を必要とした事情もあつたからである。

ところで原告は、事故によつて腎臓はひとつになつており、そして事故後の昭和四五年頃から健康診断の際蛋白尿が認められたのであるが、前記のとおりこの頃原告は通院治療を受けていたところ担当医師もこの点を問題としておらず、原告自身も腎臓に不安を抱いた様はなく、訴訟においてこの点が問題となつたことはない。

(四)  しかるに本件示談成立後の昭和四八年四月に至り、原告は、頭痛、吐気、を覚え血圧が上つたので本件事故による負傷の治療を受けた武蔵野市所在の秀島病院で診療を受けたところ、軽度の腎孟炎の疑があり、検査のため同年四月二日に同病院に入院した。そして検査の結果腎性高血圧との診断を受け、注射、投薬の治療を受けたところ軽快したので同月一〇日に退院し、以来同年一一月中頃まで同病院に通院して治療を受けた。

その後原告は、同年一一月一九日に立川市所在の立川第一相互病院に転医し、慢性腎炎との診断を受け通院治療を受けていたが、昭和四九年二月二一日に通院を中断した。

その後は近くの町医者に通院していたが、その医者から人工腎臓の設置のある病院で治療することを勧められ、同年五月一六日に調布市所在の調布病院で診察を受けたところ、腎不全(尿毒症)、腎性貧血兼腎性高血圧症とのことで直ちに入院させられた。

しかるところ、検査の結果ひとつしか残されていない原告の腎臓の機能は全廃しており、人工腎臓による治療(血液透折療法)を必要とすることが判明し、そこで同年六月一日までの一七日間同病院に入院して、透折療法のための形成手術を受け且つその療法を受けてこれに慣れることに努めた。

透折療法は、腎臓が機能しないため汚れてきた血液を人工腎臓を通過させて老廃物及び水分を除却するという療法であるが、腎臓が機能していないので週三回はこれを施行する必要があり、しかも一回六時間近くを要する。

原告は、仕事があるので会社を早退してタクシーで病院に行き午後五時頃からこの療法を開始し、午後一一時過ぎに終え、終了後意識がもうろうとしているので、少し休んだうえ、深夜料金のタクシーを利用して帰宅するという生活をしており(タクシー代金は、昭和五〇年一一月現在で往き一四三〇円、帰り二、三八〇円)また塩分、水分等の摂取も制限されている。かかる生活は他から腎臓の提供を受けて腎臓移植をおこなわない限り、原告において一生涯続けなければならないものである。

(五)  右のごとき治療を受けていても、原告は貧血で且つ老廃物及び水分が蓄積してくると苦しく、他方透折療法を受けた後は気分が悪いといつた有様で、軽作業にしか従事できず且つ夜勤等の残業はできない。そして示談成立後身体の調子が良かつた時には事故前と同様の仕事はしたことがあるも、かかる状態になつたので電気系統のチエツク等のまつたくの軽作業に戻つた。しかし透折療法のため週に三回は午後四時に早退し、そのうえ身体の具合が悪くて欠勤することが多く、昭和五〇年一二月から同五一年九月までの間有給休暇九日を含めてであるが、月平均一〇日以上欠勤している。

そのため原告の給与は、同じ職種の者と比べて大幅に下回つている。すなわち昭和四九年六月から同五〇年一二月までの一年半において、原告と同じ時期に入社し同種の仕事をしている者二名の平均支給総額は四七二万二、一八五円で、所得税、社会保険料を控除した実質手取額は三七六万五、三九五円(年額に引直すと二五一万〇、二六三円)であるのに対し、原告の総収入は一八九万六、三七二円で、実質手取額は一三一万五、〇七一円(年額八七万六、七一四円)である。

(六)  なお原告の残された右腎臓が前記のごとく悪化したのか、事故の際の打撃等を本件事故を直接の原因とするものか否かについては判然としない。しかし本来ふたつあるべきものがひとつになり負担が大きくなつたことが残された腎臓を悪化させる原因となつたのではないかと推測され、さらにいずれにしろ右腎臓の不全のため透折療法を受けるようになつたのは、本件事故により左腎臓が破裂したためである。

かかる事情を考慮してか昭和四九年一〇月三〇日に原告は自賠責保険上、腎機能が全廃したのは本件事故によるものとして後遺症害等級一級の認定を受け、既に受領済の一七七万円のほかに改めて後遺症自賠保険金一二三万円を受領した。

なお前記のとおり原告は軽作業に従事しておりよつて障害等級一級とみるのが相当か否かについてに疑問なしとしないが、前記のごとく原告の身体は極めて不安定で、原告が勤務を続けているのは勤務先会社の恩恵によるものと推認され、原告もこの点を自認している。

三  右認定事実からすれば、本件事故により左腎臓が破裂した後これといつた外的な原因なしに、事故より六年足らずのうちに原告の右腎臓が悪化している。そうだとすると自賠責保険における取扱と同じく、原告の残された右腎臓の不全が本件事故を直接の原因としているか否かは不明だとしても、原告の腎機能が全廃し透折療法を必要とするに至つたのは結局左腎臓が破裂したことに基因しているとみて、本件事故と相当因果関係のある後遺症と認めるのを相当とする。

そして本件示談は、示談成立時までの原告の入・通院、それに伴う休業、及び症状固定と目された顔面変形、複視、左下肢の短縮、左腎摘出の後遺症を前提として成立したものである。従つてその放棄条項もかかる事実を前提として予測される賠償請求権のみを放棄したものであり、当事者双方とも当時予想できなかつた腎機能の全廃という一生涯治療を要し且つ労働能力の喪失が大きく、収入も大幅に低下する後遺症による損害まで放棄したものと解すべきでないことになる。

よつて原告は、本件示談成立後に生じた腎機能全廃という後遺症に基づく治療費、通院交通費、休業損、逸失利益、慰藉料の各損害の賠償を被告に求めうる。

もつとも身体の調子が悪いため原告が現在喪つている収入のうちには、本件示談成立時に明らかであつた後遺症によつて生ずるものと予測されていて、本件示談の成立によつて既に解決済の部分もあり、原告の収入減の全部を腎機能全廃によつて生じたものと見ることはできないわけで、この解決済の部分は当然控除せねばならない。

示談の性質に鑑みこの部分を明確にすることは困難であるが、前認定のとおり、前訴での原告本人尋問により本件示談成立当時原告が検査主任者として電気系統のチエツクという軽作業に従事し、少なくとも本人給を受領していたことは当事者双方ともに明らかになつていたのである。そうするとこの事実を前提として本件示談は成立し、よつて原告は将来かかる軽作業による収入は得ることはできるが、その余の収入は後遺症によつて失つたと評価して本件示談が成立したと見るのが妥当と判断される。

よつて身体の不調による原告の収入減のうちかかる軽作業によつて得られる収入を下回る分のみが腎機能全廃による逸失利益ということになる。そして原告は現在本件示談成立時とほぼ同様の仕事をしているので、結局現在原告が早退、欠勤をしていることによつて失つている収入がその逸失利益ということになる。

原告は前認定のとおり、月平均一〇日欠勤し、週三回必ず早退しており、よつて一ケ月の平均出勤日数二五日のうちほぼ半分近く欠勤していると考えられるので、現在の原告の年間実収入八七万八、七一四円に対比してこの逸失利益は少な目に見ても七〇万円を下らないと見込まれる。

なおそうすると腎機能全廃という後遺症がなく、本件示談成立時の後遺症五級の障害のみでは原告の年間実収入を一五〇万円余と見込むことになるが、この額は、この後遺症により、原告が同年令、同職種の者の平均年間実収入二五一万〇、二六三円の四割を失つたと見ていることになる。そしてこの割合は後遺症五級の障害が終生継続することが見込まれる場合には、その労働能力喪失率は七九パーセントであるが、逸失利益はその二分の一に該る四〇パーセントとみる有力な算定の取扱とも合致しており、この点からもまず妥当な額と思われる。

四  そこで原告の各損害について検討するに次のとおりとなる。

(一)  治療費 四万〇、八〇〇円

前記のとおり原告は透折療法のための形成手術のため一七日間入院し、原告本人尋問の結果によればこの間原告の妻が付添つたことが認められる。そうすると原告請求どおり付添費として一日当り二、〇〇〇円、入院雑費として一日当り四〇〇円を要したと認められる。

(二)  通院交通費 二三九万二、六八〇円

前認定のとおり原告は週三回透折療法のため調布病院に通院せねばならぬところ、勤務状況、透折療法終了後の身体の具合から見て通院にはタクシーを利用せねばならず、その代金は昭和五〇年一一月現在において一往復三、八一〇円である。

そして前記甲第一一号証によれば昭和五〇年一〇月一五日までに一九六回通院していることが認められ、そして原告はその主張からみて、昭和五三年一〇月一五日までの通院交通費を請求しており、この間の回数が原告の主張どおり四三二回を下回らないことは明らかである。

そうすると原告は、この合計六二八回タクシーで往復することになり、その合計は原告主張どおり二三九万二、六八〇円となる。なお将来分も短期であるから中間利息は控除しないことにする。そしてかかる支出は必ず負担せねばならないのであるから現に生じた損害と評価でき、被告主張のごとく将来請求として考える必要はない。

(三)  休業損、逸失利益 三〇三万円

前記のとおり腎機能全廃による原告の逸失利益は年額七〇万円と見込まれるところ、原告は昭和四九年五月一六日以降昭和五四年九月一五日までの四年四ケ月の逸失利益を請求している。そうするとその額は三〇三万円となる(一万円以下切捨)。なおこれについても将来請求分は短期であるから、中間利息は控除しない。

(四)  慰藉料 五〇万円

腎機能の全廃という後遺症の慰藉料としては原告請求の右金額を下回らないことは明らかである。

(五)  過失相殺

右合計は五九六万三、四八〇円となるところ、前記のとおり本件事故発生については原告にも過失が存し、また前認定の原告の右腎臓が悪化した経過を見ると、原告において腎臓がひとつになつたにもかかわらずその後に異常が認められたのに昭和四八年四月まで慢然と過ごしていた不注意も認められる。

損害額の算定にあたり、この各過失は考慮さるべきであるところ、事故の発生に関しては、前記原告の不注意に鑑み二割、右腎臓を悪化させたことについては二割の計四割の減額をするのが相当と判断される。なお被告は、本件事故発生についての原告の過失割合は前訴での原告の請求額と示談金の額を対比して決定されるべきだと主張するも、示談の性質に鑑みそのように解すべき理由がないことは明らかである。

よつて被告が負担すべきは右の六割に該る三五七万八、〇八八円に限定される。

(六)  損害の填補

原告が腎機能全廃による後遺症の填補として自賠責保険金一二三万円を受領したことは当事者間に争いがない。よつて右被告が負担すべき額からこれを差引くと残額は二三四万八、〇八八円となる。

五  そうすると原告の本訴請求は、被告に対して右損害残二九四万四、四三六円及びこれに対する腎機能全廃の後遺症発生後である昭和五〇年一一月一九日以降支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条九二条本文、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 岡部崇明)

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